CD『ブラームス│ドイツ・レクイエム クレンペラー』(Brahms:Ein deutsches Requiem op.45)
- アーティスト: クレンペラー(オットー),フィッシャー=ディースカウ(ディートリヒ),シュワルツコップ(エリザベート),フィルハーモニア合唱団
- 出版社/メーカー: TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M)
- 発売日: 2007/08/22
- メディア: CD
- 購入: 3人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
- ブラームス:ドイツ・レクイエム…アマゾンの上記商品詳細ページへの直接リンク。一部試聴可能。
- wikipedia:ドイツ・レクイエム
- wikipedia:ヨハネス・ブラームス(1833年〜1897年)
- 音楽之友社〜音楽の力を信じ 音楽の心を伝えたい
- Ein deutsches Requiem, Op.45 (Brahms, Johannes) - IMSLP/Petrucci Music Library: Free Public Domain Sheet Music…IMSLP内ブラームスのページから、ドイツ・レクイエムの楽譜ページ
- ブラームス:ドイツ・レクイエムの歌詞と音楽…神崎正英さんによる大変に詳細なドイツ・レクイエム研究ページ。必読。
雄大であたたかい、苦しみから慰め、人間賛美の境地へといざなう「ドイツ・レクイエム」
オットー・クレンペラー*1指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)、フィルハーモニア合唱団(ライホルド・シュミット合唱指揮)、ラルフ・ダウンズ(オルガン)。オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。
内容紹介
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000PGTE88?ie=UTF8&tag=galanthusinthesnow-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000PGTE88
完成に約10年の歳月を費やした畢生の大作であり、完成当時35歳であったブラームスの出世作でもあります。通常の典礼文によらず、ブラームス自身が自由に歌詞を選ぶという、並々ならぬ意欲も盛り込んでいます。クレンペラーは過度な演出を排し、淡々と、厳かにこの大作を描き尽くしています。フィッシャー=ディウースカウ、シュワルツコップの独唱が素晴らしいのはいわずもがな。オーケストラと見事な融合を見せる合唱も最高水準です。
●録音:1961
プロテスタントのブラームスは、ラテン語でカトリックの典礼用のレクイエムではなく、ドイツ語で演奏会用のレクイエムを書いた。歌詞は彼が聖書から自由に選んでいる。青年期からこの曲を書き始め、1857年ごろから本格的に取り組み、1868年に完成した(cf.wikipedia:ドイツ・レクイエム)。作曲のきっかけは彼の恩人のシューマンの死(1856年*2)、また、作曲中にはブラームスの母が亡くなっている。
この曲は「生者のため」「残された者のため」のレクイエム、といわれる。
詳細な内容は、ぜひブラームス:ドイツ・レクイエムの歌詞と音楽…神崎正英さんによる大変に詳細なドイツ・レクイエム研究ページを参照されたい。
クレンペラー指揮によるこの演奏は、「Selig sind...」と包みこむような第1曲から始まり、次第に雄大になり、終曲で再び「Selig sind...」と柔らかに歌われ静かに終わっていく。その間に聴き手は人間のさまざまな境遇と感情を体験できる。しかし総じて音は分厚く、あたたかい。悲しみや苦悩から(どこかベートーヴェンの第九・四楽章にも似た)人間賛美・肯定、慰めといった境地にいざなってくれる、聴いている者が自らその境地に達することができるのである。
フィッシャー=ディースカウ*3の素晴らしい歌声が聴けるのも懐かしい。
第1曲はまず「マタイによる福音書5:4」が選ばれている。
Selig sind, die da Leid tragen,
denn sie sollen getröstet werden.
幸いなるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
マタイによる福音書 5:4 PDF版 文語訳(大正改訳)新約聖書(1950年版)より
収録曲
- I.悲しんでいる人たちはさいわいである
- II.人はみな草のごとく
- III.主よ、わが終わりと、わが日の数の
- IV.万軍主よ、あなたのすまいは
- V.このように、あなたがたにも今は
- VI.この地上には、永遠の都はない
- VII.今から後、主にあって死ぬ死人は
どうぞ良いお年をお迎えください。
新年の皆様のご多幸をお祈りします。