雪街音楽メモ

聴いた音楽、気になった音楽、音楽の話題など、音楽のある日常を書きました。

CD『ブラームス│ドイツ・レクイエム クレンペラー』(Brahms:Ein deutsches Requiem op.45)

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ブラームス:ドイツ・レクイエム

雄大であたたかい、苦しみから慰め、人間賛美の境地へといざなう「ドイツ・レクイエム


オットー・クレンペラー*1指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウバリトン)、エリザベートシュワルツコップ(ソプラノ)、フィルハーモニア合唱団(ライホルド・シュミット合唱指揮)、ラルフ・ダウンズ(オルガン)。オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。

内容紹介
完成に約10年の歳月を費やした畢生の大作であり、完成当時35歳であったブラームス出世作でもあります。通常の典礼文によらず、ブラームス自身が自由に歌詞を選ぶという、並々ならぬ意欲も盛り込んでいます。クレンペラーは過度な演出を排し、淡々と、厳かにこの大作を描き尽くしています。フィッシャー=ディウースカウ、シュワルツコップの独唱が素晴らしいのはいわずもがな。オーケストラと見事な融合を見せる合唱も最高水準です。
●録音:1961

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プロテスタントブラームスは、ラテン語カトリック典礼用のレクイエムではなく、ドイツ語で演奏会用のレクイエムを書いた。歌詞は彼が聖書から自由に選んでいる。青年期からこの曲を書き始め、1857年ごろから本格的に取り組み、1868年に完成した(cf.wikipedia:ドイツ・レクイエム)。作曲のきっかけは彼の恩人のシューマンの死(1856年*2)、また、作曲中にはブラームスの母が亡くなっている。

この曲は「生者のため」「残された者のため」のレクイエム、といわれる。

詳細な内容は、ぜひブラームス:ドイツ・レクイエムの歌詞と音楽神崎正英さんによる大変に詳細なドイツ・レクイエム研究ページを参照されたい。

クレンペラー指揮によるこの演奏は、「Selig sind...」と包みこむような第1曲から始まり、次第に雄大になり、終曲で再び「Selig sind...」と柔らかに歌われ静かに終わっていく。その間に聴き手は人間のさまざまな境遇と感情を体験できる。しかし総じて音は分厚く、あたたかい。悲しみや苦悩から(どこかベートーヴェンの第九・四楽章にも似た)人間賛美・肯定、慰めといった境地にいざなってくれる、聴いている者が自らその境地に達することができるのである。

フィッシャー=ディースカウ*3の素晴らしい歌声が聴けるのも懐かしい。

第1曲はまず「マタイによる福音書5:4」が選ばれている。

Selig sind, die da Leid tragen,
denn sie sollen getröstet werden.

幸いなるかな、悲しむ者。その人は慰められん。

マタイによる福音書 5:4 PDF版 文語訳(大正改訳)新約聖書(1950年版)より


収録曲

  1. I.悲しんでいる人たちはさいわいである
  2. II.人はみな草のごとく
  3. III.主よ、わが終わりと、わが日の数の
  4. IV.万軍主よ、あなたのすまいは
  5. V.このように、あなたがたにも今は
  6. VI.この地上には、永遠の都はない
  7. VII.今から後、主にあって死ぬ死人は

どうぞ良いお年をお迎えください。

新年の皆様のご多幸をお祈りします。