雪街音楽メモ

聴いた音楽、気になった音楽、音楽の話題など、音楽のある日常を書きました。

宝もなか、美味

劇場から宝塚駅に歩く途中、たぶん必ず通る道にあるお店。テレビでも時々取り上げられていて有名な「宝もなか」をお土産に購入。

ひとくちサイズの小さなもなか。皮にその場で粒あんをつめてくれるので、買った当日は皮はパリパリ(1日後2日後のほうがしっとりなって美味しい、とお店の人に言われた)、皮の香り高く、あんこの甘さもちょうどで非常に美味。私が買ったのは10個入りで1060円でした。

宝塚歌劇団宙組公演『相続人の肖像』。首の差の、恋の勝負。華やかでダークで皮肉な洒落がきいている。

galanthus2015-10-20

ずんバウ*1フィナーレでまず、恋に負けた男に「ポル・ウナ・カベーサ」を踊らせるのなんてもう最高です。
—愛の始まりに心震わせる若く幸福な二人で芝居が終わった後、いったん幕がおりる。次に幕が開いたらフィナーレで、さっき芝居で恋の勝負に負けて退場した男がおもむろに、負け男の歌Por una cabeza(ポル・ウナ・カベーサ)で男役を引き連れてタンゴを格好良く踊る。趣向面白すぎ。

宙組公演 『相続人の肖像』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

10月18日、500人強の小さなホールで若手中心に少人数で演ずる宝塚バウホール公演を観劇。桜木みなと(95期生、2009年入団)主演の『相続人の肖像』。

亡き父の不実の愛と、遺産相続を巡る騒動を背景に、貴族の青年の成長をユーモラスに描く。
20世紀初頭のイングランド。伯爵家の跡取りであるチャーリーは、母の死後間もなく、愛人を後妻に迎えた父ジョージと決別状態にあった。やがて父の訃報を受け、居城であるバーリントン・ハウスを相続することとなったチャーリー。だがジョージの遺言により、邸以外の財産はすべて後妻のヴァネッサと、彼女の連れ子であるイザベルに譲られることが約束されていた。邸を維持する為、今後莫大な費用が必要となるチャーリーは、父と同様“持参金目当ての結婚”を迫られるが……

『相続人の肖像』公演解説

ちょっと没落しかけのイギリス貴族、ダラム伯爵家の跡取り息子チャーリーが主人公。
父親ジョージが死んで、通っていたオックスフォードからなぜか退学になり—そもそも、寄宿学校で落ちこぼれだったのにオックスフォードに入れたこと自体が裏口入学であったようだ—、父親の遺言で後妻とその連れ子である娘(義理の妹)と一緒に暮らすようにと言われて帰ってきた。父親と確執があってずっと帰ってきてなかった屋敷に。

父ジョージは若き日、伯爵家の土地屋敷を維持するために、本当に愛していた人との結婚を祖母(父にとっては母)に許されず、金目当てで愛のない結婚をする。その結婚相手がチャーリーの母親だ。家族に愛情をもてない父親は母親や子供に冷たくあたり愛のない家庭生活を送る。やがて母親は死に、子のチャーリーは父を恨んで家を出たのだった。

いっぽうで父ジョージとの結婚を反対された恋人は別の男性と結婚するが死に別れ、娘を連れて母子二人の生活に困っていたところを父ジョージが生活の援助をし、チャーリーの母が死んだのち、後妻として母子を屋敷に迎え入れた。が、祖母はいまだその後妻と連れ子を伯爵家の一員とは認めていない。

とか、喪中なのに財産目当ての結婚を画策すべくパーティー開いたり、彼ら貴族ってやだなあみたいな人でなしだし(ダウントン・アビーの雰囲気でもあるらしい)、新興貴族は金を持っていて華やか、そんな彼らを下に見る古いけれども財産無しの伯爵家……そんなどこか退廃した貴族生活において、愛を知らずにいたおぼっちゃまがついに愛を知るに至る話である。義理の妹イザベルをめぐる恋愛のライバルである、チャーリーのまたいとこにして子爵家の跡取り息子ハロルドは彼のほうが少し先にイザベルを好きになっていて猛烈アプローチをしているのには結果、チャーリーに出し抜かれてしまって恋愛の勝負に後から来たチャーリーに差されて負けてしまうのだね—ハロルドに対し、イザベルは恋愛感情を持てないでいる。イザベルもまた恋愛とはどんなものかわからず、恋に恋している状態なのだ。でもイザベルはチャーリーと出会って、喧嘩して、踊って気持ちが通じ合い、相思相愛になってしまう。たぶん愛に飢えている者同士なんだろうなあ—。ハロルドはイザベルにプロポーズまでしたのに、イザベルの気持ちが成熟して恋愛感情を持つまで待つつもりですらあったのに。まさに首の差で恋愛の勝負に負けたハロルドくんは芝居から格好よく退場……しかし

恋に負けた男に「ポル・ウナ・カベーサ」を踊らせる

芝居が終わった後いったん幕をおろしてまた幕をあげる、という形で始まるフィナーレ。幕があがると真ん中にハロルドが立っており、激しいアレンジのPor una cabeza(ポル・ウナ・カベーサ)でタンゴを踊りはじめたのには心底笑えてしまった。
ポル・ウナ・カベーサ、邦題「首の差で」、は、競馬用語になぞらえて、恋の駆け引き、恋の勝負に首の差で負けた男の歌である。ゴール前で後ろから来た馬に見事差されてしまったのである。そんな曲でもってハロルドくんがにこりともせず(ハロルド役はダンスが上手い蒼羽りくさん)素晴らしく格好良く美しくキレの良いタンゴを踊る。踊っている最中、ひたすら真顔なのが洒落すぎていて逆に最高に面白い。このシチュエーションのこの曲でその真面目くさった顔。この芝居が結果として「コメディー」だったんだなあとはっきりする場面でもあった。

少人数の公演ながら若手を中心にそれぞれ見せ場があり、貴族の挙措の美しさとともに垣間見せる高慢、使用人たちの生き生きとした庶民的なダンス(アイリッシュ・ダンス風)を見せて気取った貴族のダンスと対比させたり、華やかでダークで皮肉な洒落がきいた良いお芝居だった。遠路、観に行って良かった。

10月24日追記

相続人の肖像

作品の造形としては、ストック・キャラクター、ストック・シチュエーションを使った、コンメディア・デッラルテ的だとやはり思えます。

時代の変わり目でのイギリス旧貴族の相続騒動、極端なくらいに典型的な人物、状況を出す。ストックキャラクター等を使うことにより観客は登場人物個人個人特有の内面やアイデンティティなどを考える必要はあまりなくて、むしろ、劇で描かれている状況や時代・社会そのものや、人物の動き、演技を楽しむことに注力できる。
そんな、コメディ。
(追記ここまで)

ポル・ウナ・カベーサ(ポル・ウナ・カベサ)について

Por una cabeza 「首の差で」。タンゴの名曲。

作曲者カルロス・ガルデルが歌うオリジナル

1935年、ガルデル主演映画『タンゴ・バー』劇中歌。



映画などでも多く使われている

上記の編曲が入っているCD
Tango Project

美しかった宝塚の空、空気、水……

この日は宝塚は快晴でした。空が高くて空気も武庫川の水も澄んでいて、呼吸がなんだかとても楽でした。

*1:桜木みなとさんの愛称が『ずん』

帝国劇場ミュージカル『エリザベート』観劇メモ

帝国劇場 ミュージカル『エリザベート』7月20日ソワレを観劇。

ミュージカル『エリザベート』はいわゆる

がある中の、今回の帝劇は東宝版。私は東宝版は初観劇だった。

主要キャストはダブルキャストになっており、私が観た回のキャストは、エリザベート花總まり、トート井上芳雄、フランツ・ヨーゼフ田代万里生、ルドルフ古川雄大ゾフィー香寿たつき、ルイジ・ルキーニ山崎育三郎 ほか、であった。

上記『エリザベート』プロモーション映像の最後のほう( https://youtu.be/PCus8RN9qiU?t=3m35s
エリザベートの「死」の直後のシーンや(トートは、それまでの薄笑いを浮かべた仮面的な死の顔とは全く違う、トート自身の『素顔』になっている。彼の『黄泉の国』にエリザベートが入ってきたからだ。初めてリアルで出会い、触れ合い、というより向こうが抱きついてきてトートは戸惑ってしまう。そして一瞬でまた別れ)、なにより、エリザベートが扇子で顔をバッと隠すシーン—一幕ラスト—など、エリザベート花總まりさんが外見、所作とも美しくて本当に忘れがたい。

第2幕第11場「Hass」(憎しみ)について

Musical Elisabeth (stuttgart) - Hass

Elisabeth Musical Part Fifteen (English Subtitles)

が書いてくださっているように、この場面、直接にはシェーネラーを言っている。が、歌詞内容や動作から、最終的(やがて行きつく20世紀。未来に時が一瞬移っている)にはナチス・ドイツヒトラーを示していることは明らか。
しかしこの《Hass》で

それについて小池修一郎氏の過剰演出である、といった類の批判もあるようだ(インターネット上などでは散見される)。
が、それは、たとえば日本人に分かりやすいような安易な改変、という意味以上に、本来の狙いを掬い取った演出であったと考えるほうが妥当かもしれない。というのは、オーストリアでも(もちろんドイツでも)、いわゆるナチス禁止法があり、公共の場でのハーケンクロイツ使用禁止、ナチス式敬礼禁止(ナチス式敬礼…右腕を伸ばして肩から上にピンとあげ掌は下を向ける。だからウィーン版《Hass》でもギリギリ肩と水平までです)、ナチスの罪の矮小化禁止など非常に厳しく規制されている。たとえば↓

ウィーン版をオーストリアやヨーロッパなと欧米で演じる際にはナチス・ドイツを表現できない法律の障壁が、日本では可能であるので出したのではないかな、と、私としては思う。先に書いたようにこの場面は時制破綻、一瞬未来に飛んで見せているわけで、そこらへんは総合的には破調している場なのかな、とも。

トートと臨死体験

トートは臨死体験で出てくる登場人物(?)というか、ある人間がその生において限りなく死に近づいている時ににょきっと出てくるヤツなんだね。だから、たびにトートを拒絶し、棺の上にいて棺の蓋が開いたとしてもずるずる滑り台にしちゃうだけ、とりすがるだけ、で決して中に入ることのないエリザベートはやっぱり生きる力が強い。

総合的な雑感

宝塚版がトートが主人公なせいか死に惹かれたのに対して、東宝版では生命力の強さ、生きる力を感じた。エリザベートはトートを拒絶していつも強く生きるほうにいってしまう。死にたいと思って死のうとしても、体や心は生きるほうに進んでしまう。だから、エリザベートが本当に死んだのは肉体的にも死に近くなってたかもしれないですし、なんのかんのトートは実は反面教師というか、やはり生きているエリザベートをこそ愛したかったのかなあとも思ったのだった。ちなみに井上トートはエリザベートがいざ死んで黄泉の国で出会ってみれば、素顔でうぶな、戸惑いとも見える表情を浮かべる青年になっていたりする。
あと、今回は宝塚版に比べて男性出演者もいることで、いわゆる女の武器(という言い方もいやらしいが)である「美貌」の出し入れのリアルさも感じた。音楽的にもソロの順番や調、伴奏の楽器の違い、など、細かい違いが楽しかった。

宝塚歌劇団宙組公演『翼ある人びと―ブラームスとクララ・シューマン―』DVD鑑賞メモ 名曲とともにある繊細な傑作

宙組 シアター・ドラマシティ公演DVD『翼ある人びと ―ブラームスとクララ・シューマン―』

2014年7月25日、DVDで観劇。音楽史の中の有名人たちが登場、名曲とともに繊細に情感を演じる音楽劇になっていた。

若き日のヨハネス・ブラームス朝夏まなと)と、ロベルト・シューマン(緒月遠麻)、クララ・シューマン伶美うらら)夫妻との交歓を、ある女性の回顧として描いた作品。
ロベルト・シューマンと若きヨハネス・ブラームスに関しては、音楽家同士の美しい交歓……自分が何に心を砕いているか一瞬でわかってもらえ、わかちあえる人と出会えた喜びがまっすぐ描かれていて(特にロベルト・シューマンが慈愛ある風情)、そこはこちらもまっすぐ受け取ろうと思って、羨望もあり痛ましくもあり―いちおう音楽史的にシューマンのその後を知っているから―、最近涙もろくなっているので、つい泣けてしまう。
朝夏まなとさんの濁りの無い風情、緒月遠麻さんの懐の深い演技、柔らかい声、伶美うららさんの気品と強靭な美しさ。それぞれの持ち味がいきる。リスト役の愛月ひかるさんの派手でスマートな動きの裏に見せる誠実さも好もしかった。

ブラームスの第三交響曲」について

ブラームスの第三交響曲」、交響曲第3番第3楽章がいわばテーマミュージック的扱いで様々な場面で流れるのだけれど、原曲(?)の通りのシンフォニーではなく、ドラムやロマン派色の濃いピアノアルペジオ等が加えられ、甘く激しいアレンジメントが施されている。
特にピアノアルペジオには驚いたのだが、実のところ、交響曲第3番はブラームス自身が「4手のためのピアノ曲」としてピアノ連弾や2台4手用に編曲もしていて、その編曲の場合、シンフォニーで木管等が担当していたアルペジオをピアノで行われる。今回の舞台でのピアノアルペジオは、連弾編曲のこのピアノを付け加えていたのでは無いか、と後から気付いた。

しかしブラームスの音楽はこの甘さにも合っていて、やはりロマン派であったのかとも思い知らされる体験でもあった。

作品中で使用しているクラシック曲一覧

作曲者名は(ショパン以外は)登場人物たちでもある。DVDリーフレットから


クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団ブラームス交響曲第3番。第3楽章 http://youtu.be/xu6hWEeTneA?t=21m21s

「頂から降りるんじゃなくて、いつか翼をつけて空へ行くんだ!」

ロベルト・シューマン死の床でヨハネス・ブラームスにこう言って聞かせる。

いつか君は山の頂の先に何があるかと聞いたね。私たちは麓から頂まで登っていく。頂からもっと歩き続けると、いつか空まで行く。頂から降りるんじゃなくて、いつか翼をつけて空へ行くんだ!ヨハネス、おそれるな。

飛翔する音楽


以下は個人的な感覚として。

2012年秋、ルーブルサモトラケのニケを観たときもう本当に衝撃的だった。
私自身いつも演奏の時に重力や自然の力をどう扱うかを考えている。この彫像の重力の利用の仕方……重力に抗い飛翔しようとする力と精神はだからとても参考になった。この姿をイメージして、ニケのように飛翔する演奏をしたい、と思ったのだった。
そして今回、シューマンブラームスや上田久美子さんや宝塚の人たちとはとうてい比べることも出来ない私ではあっても、シューマンの台詞で端的に、同じようなこと考えているんだな、と分かったのはうれしかった。
個人的には、ロベルト・シューマンの緒月遠麻さんの深い演技が心に残っている。とても好きな作品である。

宝塚歌劇団星組公演『太陽王 〜ル・ロワ・ソレイユ〜』観劇メモ

ミュージカル 太陽王 ~ル・ロワ・ソレイユ~ [DVD]

2014年5月31日、東急シアターオーブで観劇。

朕は国家なり、が決め台詞で出てくる。ルイ14世絶対王政で君臨しながら(その君臨の背景には王族でも反乱側にたつ者がいることなどからの人間不信がある。決断は自分一人でしろというマザランが死に際して王に残した言葉でもある)私生活では自分を理解できずおさめられず女遍歴、という話で、愛の歌をけなげに歌い上げるルイ14世に泣けてしまった。
ルイ14世を演じる柚希礼音さんが黄金の衣装をまといバロックダンス風のダンスを踊るのは鮮やかで、特にラストのポーズが心に残る。ムッシュー(王弟、オルレアン公フィリップ)を演じた紅ゆずるさんも軽薄明朗な役柄を美しく軽やかに演じつつ怯えや弱さ、コンプレックスを見せてくれて面白かった。

オリジナルとの比較

ストーリーや歌・音楽、衣装、ダンスなどはオリジナルにわりに忠実、舞台美術・装置はだいぶん違った(宝塚のほうがシンプル)が、ちょうどオリジナルのこの場面(38分過ぎから。ルイ14世が戦場で倒れ、危篤に陥るところ)は宝塚版でも構図や歌を丁寧になぞっている。


「死せるキリスト」、絶対王政、三位一体

このルイが寝かされているポーズ、観客と正対するベッドなどから、私はアンドレア・マンテーニャの「死せるキリスト」が即座に頭に浮かんだんだけど、

Andrea Mantegna 034.jpg
"Andrea Mantegna 034" by アンドレア・マンテーニャ - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

また、洗礼者ヨハネなどのタームも出てきており、このミュージカルには神、キリスト教、の要素がやはり組み込まれていたわけで、しかしそのあたりは私の知識が乏しく理解が行き届かない。

というふうに(少なくとも現段階の私には)手が届かない・把握できない内容が多々あってそれが悔しくもあり、非常に興味深いミュージカルだった。

宝塚歌劇団星組公演『眠らない男・ナポレオン ―愛と栄光の涯(はて)に―』 観劇メモ

星組 宝塚大劇場公演DVD 『眠らない男・ナポレオン―愛と栄光の涯に―』

2014年2月22日、東京宝塚劇場で観劇。

若きナポレオン2世オーストリアで名も変えて暮らしているが、2歳の時に引き離され記憶にない父のことを知りたくなり、たくさんの回想録など取り寄せて調べてみたらどれも残酷な独裁者という悪評ばかりで打ちのめされている。
そうではなかった、と、年老いたマルモンは、ナポレオンがどれほど傑出した存在感であったかをじゅんじゅんと聞かせる。その、マルモンの回想談、というのがこの劇のしつらえなので、ナポレオンについては伝記的に、士官学校の雪合戦エピソード〜エルバ島流刑直前までを駆け足で描いていく。戦争やクーデターなどリアルな武力行使といった血生臭い場面になりそうな箇所は、過去の名画などをスライドのように写しながら活人画・説明台詞などで通過する。

反面、ジョゼフィーヌとの出会いやラブシーン(もしくは愛を断ち切るとき)は宝塚らしくたっぷり描かれ、よって、

  • ナポレオンのパートは伝記のスピード感、史実中心、時間経過のスピードはやい
  • ジョゼフィーヌ絡みのパートは心情中心、時間経過緩やか

になるため、見る人によっては主役がナポレオンではなくジョゼフィーヌに思えてしまうようだ。

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"Jacques-Louis David, The Coronation of Napoleon edit" by Jacques-Louis David - Edited version of: File:Jacques-Louis David, The Coronation of Napoleon.jpg Who is Who. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

舞台装置も衣装もかなりお金をかけているそうで、特に、戴冠式の絵画再現場面はなかなか豪華。軍人たちの軍服が変化していくのも興味深い。ナポレオンの絵画(アルプス越えなど。ダヴィッドちらりと登場)を踏まえたと思しきシーンが多々あり、美化した絵画を皮肉るところなどかなり面白かった。

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"Jacques-Louis David 007" by Jacques-Louis David - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2012. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

生徒(出演者)さんたちはみな熱演、主役二人(柚希礼音・夢咲ねね両氏)についてはあてがきされていたとのことで、役を体現して説得力あり。歌も演奏も楽しく聴けた。

イコノグラフィー、「ヴァニタス」

この舞台には戴冠式はじめ絵画からの引用場面がたくさんあった。

ナポレオンが眠らずにひとり向かう執務机にはゆらめく蝋燭が、また、ダヴィッドが出てきた(理想化した絵を描かせることを皮肉る)シーンではナポレオンに地球儀をいじらせていた。この蝋燭、地球儀、というのは、西洋絵画だとヴァニタス……人生のむなしさはかなさや虚栄の寓意になる。

私の深読みで勘違いだったとしても、この舞台においてはそれらをイコノグラフィーとして捉える妥当性はあるように思えた。

なお現存している「ナポレオンの地球儀」はこの舞台で使われた普通の(大きめの)地球儀、とは全く形状が違い、とても大きい。フォンテーヌブロー宮殿にあるとのこと。


マイケル・ジャクソン『THIS IS IT』は素晴らしかった。

  • サウンドトラック
    • 初回限定盤はCD2枚組(2枚目に未発表音源やマイケル自身による詩の朗読など)+35ページのロンドン公演リハーサルからの未発表ショット所収ブックレット付き。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(1枚組通常盤)

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(1枚組通常盤)

  • 映画「THIS IS IT」DVD、ブルーレイ
    • 11/9時点では予約受付もまだ始まっていません。「ご注文受付開始時にEメールでお知らせ」の段階です。
    • 11/30追記 各種エディションやBOXとしてDVD、ブルーレイの発売が決定。発売予定日は2010年1月27日だそうです。映像特典付き。

映画『THIS IS IT』を見た。現在、当初2週間限定公開のところを11月27日までの4週間に延長されている。詳細は映画オフィシャルサイトでご確認ください。

コンサートの臨場感を味わえる。リハーサルや舞台裏の興味深い音楽作りの現場、マイケルとミュージシャン、スタッフたちの仕事ぶりと交流の様子、マイケルの人柄がうかがいしれる。

映画はロンドンのO2アリーナで今夏開催されるはずだったコンサート”THIS IS IT”のリハーサル映像と舞台裏で構成されている。ちまたの評判通り、大変素晴らしかった。

  • 本作は2009年4月から6月までの映像が収められている。マイケル急逝は2009年6月25日のことだった。
  • リハーサルとはいえ完成度の高いマイケルの歌、ダンス、サウンド
    • 実際のコンサートと同じセットリスト(曲順)で歌われる。
    • 「リハーサル」ということで、特にリハーサル期間初期の頃と思われる映像はマイケルは「のどを温め」たいがために軽くしか歌っていなかったりする。それでもじゅうぶん、聴くに値する歌声になっている。ダンスも全力ではなく軽く踊っているだけでも、それでも何か引きつけられる動きなのである。
    • ただ、リハーサルということを割り引いても、全盛期よりかはやや曲の最後のほうで動きが若干ゆっくりになるかなという変化は感じた。それでも切れ味鋭く、体のラインや動きは美しく、軽い。
  • ダンサーオーディションの様子や舞台裏の練習風景、ミュージシャンとスタッフやマイケルとの音楽に関するやりとりなど、音楽作りの現場が分かる。
    • わたしにはこの部分の映像がいちばん興味深かった。
    • この部分も含め全体をドキュメンタリー映像としても見ることが出来る。
    • ダンサーやミュージシャン、スタッフはマイケルとともに働けることを心から喜び、全力を尽くそうとしていた。マイケルを敬愛している様子が伝わってくる。
    • マイケルは謙虚で穏やかだが真摯な、時に厳しい音楽的要求を出す(それをしたあとは必ず相手と暖かい言葉を交わしてフォローする)。彼の考えとしては概ね、「演奏や歌はオリジナル通りに」「しかしそれ以上のものにする」「ファンが望むように」「シンプルに」といったこと。たとえば、凝ったコードを使うキーボード奏者に、「コードが違う。シンプルにしてほしい」と要求し、セブンスコード程度のものにその場で変更させる。しかしそう変更した方が、明らかに音楽の流れが良くなり、響きがすっきりしたのだった。
    • ほか、マイケルの出す音楽的要求は相手を高めるためのものだったようだ。相手の能力を高める、相手を光らせる、それによって全体が向上する、自分もさらに向上する。
    • 「ファンを非日常に、未知の領域に連れて行きたい」という願いがマイケルにはあったようだ。それは、自分たちの能力も未知の領域に向上させようとする取り組みでもあったように思う。
    • 「キング」と呼ばれるのはマイケルのこういう面があったからこそなのだろうと思わせた。
  • リハ初期の頃と思われる試行錯誤段階のリハ映像と、その後のの完成度の高くなっているリハ映像を交互に組み合わせるなどして、リハによってどのようにブラッシュアップされたかわかるよう編集上の工夫がなされている。
    • マイケルの私的な記録として記録されていたというリハーサル映像なのだが、ハイビジョン撮影等も入っており元々、後日なんらかの形での公開が考えられていたかもしれない。

マイケル・ジャクソンは自分が何をしたいか、どういうステージを作りたいかがはっきり分かっている。自分の歌のキーやテンポ、コードなどはすべてを把握している。彼がクリエイター、ダンサー、シンガーとしていかに卓抜していたかがはっきり理解できた。と同時に、彼がこの世にいないことを改めて悲しく残念に思う。どれほど大きな損失だったか。

マイケルの長いキャリア……

個人的には、ジャクソン5時代の歌をダンサーやミュージシャンたちと(つまり、ジャクソンファミリーとではなく)歌う、大人になったマイケルの姿が非常に感慨深かった。そのシーンではマイケルは歌うのを途中でやめ、コーラス側に回ってしまう。イヤー・モニターの音量の問題と、イヤー・モニターをつけて歌うことになれていない、そういうふうには育っていないから……といった会話をスタッフと交わす。そのあとリハーサルが続けられ、そのうちマイケルはイヤー・モニターを外したままきっちりと歌い始める。返しのスピーカーは数が少ないはずなのに。マイケルの長いキャリアと歩んできた道のりが感じられ泣きたいような気持ちになった。

映画予告編(英語)

YouTube

映画ウィジェット

  • TRAILER をクリックすると予告編(日本語字幕入り)が表示されます。さらに大きく見たい場合は上のYouTube映画オフィシャルサイト(日本語字幕入り)をどうぞ。
    • 「共有する」では、様々なブログやソーシャルネットワークに表示させるためのHTMLなどが表示されるようになっている。そういう時代なのだなあと改めて思う。

リハーサル動画

オリアンティ

マイケルの横でギターを弾いている金髪の若い女性ギタリストはオーストラリア出身24歳のオリアンティ・パナガリOrianthi Panagaris。下記はYouTubeでの彼女のオフィシャルページ。

彼女も映画の中で、「Beat It」「Black Or White」のギターソロでもっと目立つよう、光るようにマイケルから指示されるシーンがある。そのギターソロが彼女の見せ場であること、「僕が一緒についている」といった励まし。そこで彼女はバリバリとテクニックを使って弾いてみるのだが、マイケルは納得しない。「もっと高い音で、音を伸ばして」弾くように、と言葉を重ねる。そして彼女はそれをすると、実際、「Beat It」のラストにはふさわしい力強さと輝き、泣きの美しさが出てくる。限界を超えてさらに高みに引っ張り上げていく、マイケル自身もより高く行こうとする姿には本当に心打たれたし、音楽作りのエッセンスを見た思いもした。

ジュディス・ヒル

マイケルのバックコーラスの女性でデュエット・パートナーもつとめていたのはジュディス・ヒル Judith Hill。父親はミュージシャン。母親が日本人なので東洋的な顔立ちです。
マイケルの追悼式では大トリの「We Are The World」「Heal The World」のメインボーカルとして取り乱さず堂々と歌い、その歌声が全米の話題となってテレビ出演などが殺到。新曲も出すなどまさに「あの歌手、誰?」から人生が変わったとのこと。

この映画『THIS IS IT』をご覧になることをおすすめします。